九州磯釣連盟 海洋磯釣倶楽部(サーフメイズJAPAN)2025.3月で創立50を迎えました
2023.2.更新       九州の釣り文化を貴めた人々 5
                musick クラシック 11


ペンライターJAPAN釣り文化いたオピニオンリーダー 小路 隆さんを
   
2006.3.12. 全九州釣ライター協会 30 周年記念パーティ
              
        
小倉リガーロイヤルホテルにて
















 

       九州文化めた人々2 週刊釣りサンデー編集長 小西和人さん


  投げ釣り界の大御所 小西和人さん


週刊釣りサンデー編集長 小西和人さん6回忌(全日本サーフキャスティング連盟2代目会長)

昭和58年6月に「TOTOくさみ工場釣り部」56人が「長崎県対馬でキス釣り大会」を、開催するので、弟から「兄も同伴しないか!!」と誘われた。
経費は0円、全てTOTOに勤める弟が負担してくれる事だったからソクOK。私はオブザーバー的な立場であるが、それ以前からTOTO釣り部の方達と、親交があったから馴染みやすい。

それで北九州市小倉浅野から九州郵船フェリーに車ごと乗船し、深夜出船。7時間かけて早朝、比田勝港へ。そして弟と豊玉町、塩浜港波止でシロキス34.2pの実寸を釣った。もちろん私の自己記録であり、九州磯釣連盟の年間チャンピオン、ギネスにも登録された。

その上で当時、毎日新聞社から毎週届けられる「週刊釣りサンデー(大阪)」にも魚拓提出すると、月間シロキス部門で優勝した。早速小西和人さんからインタビューを受けた。魚拓寸記が35.2pもあったからだ!! 

その事で継ながりをもち、小西和人さんより九州方面の「投げ釣り」原稿書きや単行本で出版される稿にも依頼され15年ほどお付き合いを重ねた。もちろん全日本サーフキャスティング連盟会長としての小西和人さん、そして息子さんとの継ながりや、全日本サーフ・北九州協会長や東九州協会長、あるいは長崎協会長などとの交流も含めて、小西さんとの関係は、より深めてゆくことで多方面の交流が図れた。


そして全九州釣ライター協会創立20周年記念式典や、30周年記念式典にも来て頂いたりで、髭のおじいさん、背の高い小西さんはとにかく人気の的だった。体が大きいので威圧感はあるが、会話は優しく、凄く穏やかな人だった。

毎日新聞社から発刊される週刊釣りサンデーは毎週が楽しみだったが、段々と九州から遠ざかるようになり本屋さんでも買えなくなってきた。そのような時代になると、釣り具メーカーや釣り雑誌社などとの業界も経営不振に陥るようになってきた。

そして2000年に入るころ、まさかの廃刊。その決断は会社経営者としてまだ余力のある内、社員に迷惑をかけない内に撤退することを決めた、と聞いた。小西さんらしい考え方で、出版業界に於いては模範的な社長として名をあげた。


そののち全九州釣ライター協会の30周年記念式典に出席されて700人の前での挨拶は、さすが「日本を代表する釣り人」と、私は確信した。
小西さんと多くのコミュニケーションは、ほとんど電話での原稿依頼と、九州の釣り情報でしかなかったが、私にとって小西さんは、対馬の巨キス釣り場の開拓者、第一人者であり、小西さんの記事を読んで、あの塩浜で巨キス34.2pを釣ったのだから考え深い。

毎年通う対馬一周釣り旅行も妻と楽しんでいるが、いつも小西和人さんが紹介された釣り場を駆け巡っている。その小西さん、今年で7回忌を迎える。



長崎県対馬浅茅湾。唐浦、ソロ浦、貝口、佐保、豊玉町で大ギス釣り洋子
ちゃんと。




       九州文化めた人々2 全九州釣りライター協会 事務局長 小路 隆さん


ペンライターでJAPANの釣り文化を築いたオピニオンリーダー
  全九州釣ライター協会 事務局長  小路 隆さん



毎年開催される全九州釣ライター協会の総会に出席した39日、いつもの小路先生が病気療養中で欠席され、田中栄一会長が「お元気でお仕事に励まれているので、気にしなくて良いですよ」と言う事で、小路真理子さんより会計決算報告などが承認され、九州各県から出席した会員さんと和やかな懇親会がいつものように催され、平成26年度の総会が無事終えた。
そして418日、まさかの訃報がFAXで入り、心筋梗塞で、いきなり去ってしまわれた。



小路 隆さんが全九州釣ライター協会を立ち上げたのが昭和50年だから、今年は創立40周年となる節目で、なにか大イベント行事があるかも知れない!! と期待していたところが、まさかの他界です。


「上瀧さん、面白い原稿頼むよ、奥さんによろしくな!!」が、口癖の小路 隆さんでした。

私と小路さんとの出会いは、私が25才のとき、新婚生活を始めた北九州市若松の社宅に訪問してくれたことから始まります。
当時の先生は読売新聞西部本社の釣り記事を担当され、西日本新聞社から釣りの単行本を出すぐらいの超有名人でもありました。又、昭和52年に創立された会員6000人の九州磯釣連盟の広報部長としてボランティアで機関誌「九州磯連 だより」を発行するパワーのある方でした。

その下で私は釣りライターとして小路先生から可愛がってもらい、平成5年、潟^カミヤ 高宮俊諦社長の推薦により全九州釣ライター協会に入会できました。

この事で増々、九州磯釣連盟及び、北九州支部との深いパイプ役
を果たし、又、(公財)日本釣振興会、福岡県支部のイベント行事から北九州市政との関わりなど、広い分野で全九州釣ライター協会、小路 隆先生との関係を深め、昭和51年に創立した海洋磯釣倶楽部&サーフメイズ JAPANのアクションプログラムにも多財の助援を頂きました。


その上で全九州釣ライター協会、創立20周年式典は、小路 隆事務局長がリーダーシップを取り、北九州市小倉リガーロイヤルホテルに於いて、当時の末吉興一北九州市長を招待し、国政議員はもちろん、鰍ェまかつ、潟}ルキュー社長はじめ、釣り具業界から新聞、雑誌、出版社など、釣りに関わる、たくさんの団体、組織な800名が参集する一大イベントを開催しました。
そして創立30周年記念式典にも、同所に於いて同等以上に盛り上げ、開催できましたが、小路 隆さんのパワーがあればこそ出来た記念式典であり、全九州釣ライター協会40数名の会員さんが、小路さんの基で一つになれた結束こそがパワーでした。
そのような強いリーダーを見つめながら、私は釣りスタイルを釣り文化としてとらえ、釣り仲間とアクションプログラムします。その事で、いつも小路先生におねだりというか、後押しをお願いしました。


九州磯釣連盟 北九州支部の機関誌「支部だより」を6年間続けましたが、これも小路先生のおかげで発行できました。
又、平成4年から続いている海洋磯釣倶楽部主催のクリーンアップ事業である、「関門投げ釣りイシモチ選手権→関門投げ釣り夜釣り大会→クリーンカップ大会」などが毎年続けられ、今年で21年になります。

これ等も全て全九州釣ライター協会、後援事業として支えられています。
又、(公財)日本釣振興会、高宮俊諦さんが協力してくれる私のアクションが、このお二方によって出来ているの
も事実です。その一方が去ってしまわれ、これからどのようなアクションプログラムになるか、不安なテーマを抱えています。


小路 隆さんの人柄は、会うたびに「何でも相談してくれ!!」そして、お酒を飲むと自慢話しが脹らんで和やかになる、心の広い大きな人物です。小さい事は言わない。たくましい大きな目線で釣り文化の繁栄を志としてとらえ、私達に投げかけ、大きく育てる企業者でもありました。
そんな懐の深い方と、40数年間一緒に学べ、ライターの師匠として感謝しています、ありがとうございました。


2014.5.

          全九州釣ライター協会 常任理幹事 上瀧勇哲

           ライターの師匠 小路 隆さんからの贈り物


「海洋磯釣倶楽部 創立20周年記念」誌は平成8年に多くの釣り仲間、釣り具メーカー、釣り人組織、釣り雑誌社などの協力で900部、非売品として多くの関係者、釣り人にプレゼントしました。

その記念誌を助援してくれた全九州釣ライター協会、小路隆さんの稿を紹介しますが、私と小路隆さんの関係は、互いに文、稿を交
わしあえる一人の釣り人、ペンライターでもありました


これまで私の方から原稿を依頼して小路 隆先生から7つ書いてもらいました。
全て手書きで、けっこう長い文です。


九州磯釣連盟「北九州支部だよりの稿」、海洋磯釣倶楽部「機関誌の稿」、釣り人組織としての「クリーンアップ事業についての稿」など、忙しい中、「徹夜して書いたよ!!」、「3日かけて書いたよ!!」の後日のお話しです。
そのぐらい忙しい中、私のハートを豊かにさせてくれる優しい方でした。
先生のおかげで私のペンライター活動というか、釣り人組織、釣り仲間を先導して様々なアクションプログラムが出来た事を感謝しています。

又、妻の釣りのファン子には、九州スポーツ新聞の釣
りコラム記事を3年間、担当させる仕事を与えてくれました。
私達夫婦は新婚生活の時代から小路隆さんという釣り人がライフスタイルに組み込まれ、夫婦揃って全
九州釣ライター協会に携われ、後押ししてくれた方です。

夫婦で駆け巡った40年間のエピソードはたくさんありますが、これからの時代に、その事を受け継いでゆ
くハートで小路 隆先生の想いを、たくさんの人々に届けたいと想います。


以下、海洋磯釣倶楽部 創立20周年記念誌の小路 隆さんの稿、2編を紹介いたします。




海洋磯釣倶楽部20周年 祝辞

釣り文化活動を釣界発展の基礎としよう

全九州釣ライター協会 事務局長 小路 隆(弾涛竿) 

「釣りに文化があるか」と問われれば「YES」と答えよう。
かのアイザック・ウォルトン著の釣魚大全(ちょうぎょたいぜん)を持ち出すまでもなく故・開高健(かいこう・たけし)氏による作家活動、その流れを汲む山本素石、宮地伝三郎、金森直治、小口修平、寺尾宗冬氏などがおり、古くは佐藤垢石、松崎明治氏などが挙げられる。九州では54歳で早世された淀谷一竿(よどたに、いっかん)氏をおいて他にな

1期、釣り黄金時代が出現した昭和40年代に、毎日新聞、スポーツニッポン新聞など、自らの“釣り欄”を持ち毎週執筆する傍ら、作家活動にも励み山口県の仙崎(長門市)を舞台にした「沈んだ浮子」など、推理小説をはじめ毎日新聞の「ここなら釣れる」ほか格調高い著を数々残している。
その頃私は足繁く淀谷先生のもとに押しかけては醜い原稿を持ち込み、目を通して頂き、朱筆や添削の指導を受けた。
その事で、釣りの取材も自然に学び得たも
のである。


そして、ある日突然の訃報に笵で葬儀をお手伝いし、唯一の弟子として弔辞を捧げ、涙したのである。それ以来、20年以上も淀谷家とは祖縁であった。ところが先般、個人の奥様とお嬢様が突然来宅され近々結婚するので主賓として挨拶して欲しいとのことである。泉下の先生のご意向と判断して先日、お嬢様が華燭の典を挙げられた席で、お父様を引き合いに出しながら心からなる祝辞を述べたものである。

その大先輩で恩人である淀谷先生を顧問に据え、生まれたのが「全九州釣ライター協会」である。
すでに一昨年、20周年のお祝も済み、38人の全国的にも著名な釣りライターたちが、釣り記事執筆を続ける傍ら、微々ではあるが「釣り文化向上」にも力を注いでいる。


この全九州釣ライター協会の中堅会員として活躍するのが、このほどめでたく20周年を迎えた海洋磯釣倶楽部・主宰者の上瀧勇哲さんである。心から、そのご活躍を称えると共に、心より敬意を表したい。
また併せて全九州釣ライター協会への今後のお力添えを願うとともに、その独自のご健筆を祈
るものである。


20年の次は30年を目標に、九州磯釣連盟きっての投げ釣り精鋭軍団・海洋磯釣倶楽部のご発展と、その良きリーダー・上瀧勇哲さんの、よりよき文化活動を願って、私のお祝いのことばとする。



北九州市横代農事センターで薔薇園




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第五部 世界を跨ぐ日本の釣り文化交流







                     全九州釣ライター協会 常任幹事 上瀧勇哲