九州の釣り文化を貴めた人々2 |
潟Iーナーばり 中道成之 様
拝啓 夏が来た、この頃ですが、子供達の夏休み、イベントプログラムで、市政とか磯釣連盟などで、お世話係、楽しんでいる、この頃です。
さて本年6月、潟Iーナーばり創業50周年、お慶びと、お祝い申し上げます。
早いもので、先代の中道弘蔵様より、ご愛顧頂いて、私、所属の海洋磯釣倶楽部も本年、創立43年となり、変わらぬご愛顧、感謝申し上げます。
その上で、お祝いの品、記念誌、拝読させて頂きました。
50年という月日、釣界も、さま変わり、若人を意識した釣りスタイルの変革に、ついてゆけない私ですが、それでも釣りを生甲斐にし、まだまだ遊べている事を、元気に代え、お世話係から、行政と、話しができる環境で、釣り人を増すとか、釣り場環境を整えるプログラムを、仲間達と有言実行しています。
そして、潟Iーナーばり様とは、長―ィ、お付き合い、様々なグッズ、アイテムを、お店で拝見し、仲間達と「これ、イイネ」で購入しています。
これからも仲間達と、応援しますので、次の60周年、お祝いできること、楽しみにしています。
社長様はじめ、スタッフ皆様の、ご活躍と、ご健勝を祈念申し上げます。
敬具
2018.7.
九州磯釣連盟 海洋磯釣倶楽部 会長
〒824-0015 福岡県行橋市元永247-4 пEFAX 0930―24―0199
PS ホームページ「九州の釣り文化を貴めた人々」の中で
◎「第6部 私達に優しい日本の釣り文化礎人」で、故
中道弘蔵(昇)さまのページ。故 近野さま、のPがあります。
そして、その弘蔵さまと、親しかった福岡県田川市の、故、向井吉夫先生の稿も
◎「第4部 優しい釣り仲間と歩む釣り文化人」で綴っております、どうぞご覧下さい。
潟Iーナーばり 中道成之さま、潟Iーナーばり 創業50周年 誠に おめでとうございます 海洋磯釣倶楽部 上瀧勇哲 |
九州磯釣連盟 海洋磯釣倶楽部20周年 祝辞 海洋磯釣倶楽部20周年を祝う 潟Iーナーばり 代表取締役 中道弘蔵 海洋磯釣倶楽部創立20周年記念誌を製作発行されるにあたり、心より「おめでとう」とご祝詞を申し上げます。 貴会の20年の歴史が重厚かつ清新に回顧されることでしょう。 さて、弊社が貴会の上瀧会長とご眼懇させて戴くようになって15年余りの歳月が流れたと思われます。 会長の釣りに対する真面目で謙虚な姿に心を打たれ、今もご尊敬申し上げる気持ちは変わりません。 毎号送っていただく会報「海洋だより」を拝読するにつけても、会長の釣りに対する、また釣り人との対人関係を大切にされる姿やマナーなど、そのお人柄に心打たれております。また、会員の皆様にも、この誠実さを強い信念が共有されていて、その和気あいあいの気風は他会を大きくリードされております。 家族愛を大切にされ、奉仕を尊重される姿勢など、私も近くに居れば入会させていただきたいと願うほど羨ましい思いです。 どうか、会長をはじめ会員の皆様、30周年、いや50周年の弥栄えの発展を成就させて下さい。そして釣り人や釣界のリーダーとして、ご指導の程よろしくお願い申し上げます。 ここに記念誌を発刊されるにあたり、心からご祝福申し上げ、寄稿のご挨拶とさせていただきます。 敬具 平成7年7月 ![]() ![]() ![]() 長崎県対馬でシロキス 100万円を釣ろう 主催 潟Iーナーばり 挨拶する中道社長 |
九州の釣り文化を貴めた人々2 |
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九州の釣り文化を貴めた人々
潟Iーナーばり会長 中道弘蔵さんを偲ぶ稿
巨ギスの宝庫として全国サーフキャスターの憧れの地、長崎県対馬へ、年に数度釣行していたころ、弟が勤める「TOTO機器釣り部、対馬キス釣り大会」があり、その40数名参加のオブザーバーで参加した。
その大会で、まさかの大ギスを釣った。昭和62年7月6日、巨ギス34.2p(実寸)を豊玉町塩浜波止で釣り、そのシロキスを拓本にしてオーナーばりが発行する「フックメイト」の魚拓大会に提出した事により、中道社長と交遊が始まった。
その当時、私は小西和人さんが絶賛するオーナーばりの「投キス鈎」ファンとなり、月刊誌などにオーナーばりを広くPRしていた時だった。
その「投キス13号鈎」で巨ギス35.2p(魚拓寸)が当時の九州磯釣連盟ギネス新記録と公認されたり、週刊つりサンデー発行の雑誌に記載されたりで有名になった。
その事でオーナーばり宣伝企画の近野寿さんが我が家に来ることが多くなり、九州出張に来る営業マンと話しができる関係となった。
始めて中道弘蔵社長と会ったのが「シロキスを釣って100万円を釣ろう」の企画で、
場所が長崎県対馬で開催され、第1回大会が昭和63年7月だった。
その大会会場となった美津島町、国民宿舎「つしま荘」で、始めて中道弘蔵社長を紹介され、出会えたことから、ますます「オーナーばり」と親交が深まった。
又、同席された全日本サーフ会長、伊丹 一さん(大会実行委員長)と出会ったのもこの時で、紹介された全日本級の釣り人と対談し、コミュニケーションできたのも、オーナーばり、中道弘蔵さんのおかげであり、我が海洋磯釣倶楽部の会員も検量審査員として毎回7〜8人参加して「オーナーばり、キス100万円を釣ろう」の対馬大会をサポートした。
その後、中道社長が九州出張のときには必ず夕食会などで呼び出され、夫婦で接待された。
その上で海洋磯釣倶楽部との繋がりを更に深めてもらいながら、海洋磯釣倶楽部、20周年記念誌発行では中道社長から驚くような広告を頂き、その恩は計り知れないぐらいお世話になっていた。
営業マンとの交遊は行橋に引越してからも続き、機関誌「海洋だより」を送付すると、必ずお礼の手紙、電話、そして釣り大会にはいつもオーナーばり寄贈の鈎額があった。
数年前、電話で息子さんに経営を譲って暇を作るので、有馬温泉の招待など勧められたが、ハートだけを頂き、社長との絆はお金のない海洋磯釣倶楽部としての、お付き合いをもらい、この事は最後まで続いた。
男気が強く、義理人情の世界から考えもしない一面は、社員を家族ぐるみでハワイ旅行を毎年プレゼントする社長は後にも先にも中道弘蔵さんだけでした。
オーナーフックメイトを発刊していた、オーナーばり宣伝企画、近野 寿さんはハゲ頭のスケベじいさんで、もっぱらの評判でしたが、この方は関西同磯会、会長さんで、国鉄に勤めていた大ボスでもありました。
この方が国鉄を定年になったのを機会に中道社長がスカウトして、オーナーばりの宣伝企画部長となり、私と交遊するきっかけを作ってくれました。
その近野 寿さんは、すでに他界されていますが、季刊誌「フックメイト」を面白楽しく見せて、読ませてくれた記事の中で、若々しい中道社長の挨拶文がたくさん記載されています。
又、社員に優しい中道社長の人柄が、このメイト季刊誌の中にたくさんあり、ハワイ家族社員旅行があったり「ホワイティング・キス100万円を釣ろう」の記事など、盛りだくさんの季刊誌の一部ですが、海洋磯釣倶楽部20周年記念誌で10Pほど記載し、中道弘蔵さんのご挨拶文もあります。
そのような中道弘蔵社長さんと社員の皆さんで、対馬でシロキス釣りをご一緒にしましたね。
社長のそばには、いつも若い方がたくさん居ましたから、すごく楽しい釣りが出来ました。その当時、私はまだ30代でした。
年に数度、九州に来られる中道社長の予定は月刊誌の釣春秋と釣紀行、釣ファンなどに来られます。
その時、なぜかしら私達夫婦を食事会に招待してくれます。
度々断る私ですが、あまり断っても申し訳ないので、北九州市小倉、ホテルニュー田川で夕食会に呼ばれたことが何度かあります。
その中道弘蔵さんの自慢話しは「若いとき日本全国、オーナーばりを歩いて売ってまわった!!」そうで、今のように鈎だけの商売なら日本一の企業、社員が350人の大会社になった事を誇りにしていました。
その営業理念の、釣り人に優しく、釣界に貢献する姿勢だったのです。
その事で社長はヨレヨレのオーナーばり、ネーム入りの贈答用クツ下を履いていると、見せてくれましたね。
その後、オーナーばり中道弘蔵社長と九州磯釣連盟、下村会長と結び付きをPRするパーティが北九州市小倉、リガーロイヤルホテルで数度ありましたし、九州におけるオーナーばりの存在をアピールする姿勢を、このとき特に感じました。
しかしながら中道社長の持病である腰痛が悪いようで、療養する気風を営業マンから聞けることでしたが、中道社長さんから時々メッセージが貰えたり、電話をもらえる事で、私達夫婦はすごく中道弘蔵社長さんから可愛がられていた事を感謝しました。
私と中道社長さんとの出会いは、九州釣界が成育した絶頂期から下降してゆく過程で、少しずつ釣界そのものが衰退してゆく流れの中で、生き残りをかけた中道社長の想いがあり、その重い重責を息子さんの中道成之さんにバトンを渡し、会社の存亡をかけた私とのお付き合いがありました。
そして会長に就任されてから、わずか数年後、静かに去ってゆく中道弘蔵さんに私は、私達は、なにもすることが出来ませんでした。今は釣界に寄与する事を第一に考えています。
趣味の釣りゲームは最盛期の昭和40〜50年代で、日本の釣り人は2000万人から3000万人居たといわれていました。その当時は各地域で釣具店が大盛況で、お魚さんがすごく釣れていた時代でした。その釣り人が、時代とともに衰退してゆく姿を昭和から平成に入って感じますが、その頃から中道弘蔵社長さんとの交遊が始まりました。
良い想い出ばかりをハートにしまっていますが、平成26年、釣りを趣味にしている釣り人は850万人と総務省が公開していますが、釣趣にこだわった若い釣り人を取り込んだ営業戦略を考えたら、まだまだ未来は明るい、そんな想いで私は中道社長が目指す、新しい釣りスタイルを築いている若い釣り人の育成をしています。
出来る事を、出来るところでヤル、スタイルを、あの中道弘蔵さんがいつも誉めてくれました。
九州釣界に厚い想いと、多財のハートを届けてくれた中道弘蔵さんに手を合わせて、ありがとうございました。
九州磯釣連盟 海洋磯釣倶楽部 会長 上瀧勇哲 記
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海洋磯釣倶楽部20周年記念誌 記載稿
フックメイトで楽しんだ 潟Iーナーばり宣伝企画 近野寿雄さんとの交友
海洋磯釣倶楽部 会長 上瀧勇哲
「テルテルぼうずのオジイチャン」と、だれかさんのお子さんが、こう呼んだのです。
始めて私宅に来たのが、オーナーばり広告企画宣伝室という肩書の名刺を持って近野さんと上野さんがやって来たのです。
『九州に行ったら上瀧さんに挨拶しとかなアカンディ』と中道社長から言われたそうです。
女房に言わせると「タコ入道のスケベなじいさん」でも「愛嬌のある、親しみやすい人柄ネ」と、チョット持ち上げる。
私に言わせると、これがどうもクセ者のようです。小さなマッチ箱の我が家に来て「トイレはどこやネェーン」と言いながら台所に入って来て、内の奥さんとスケベーな話しをアレコレしたらしい。
どうも最初の印象が面白く、人なつっこい性格で「まるでタコ入道ヤァー」等と、家族皆で笑ってしまった。この時、尼崎磯釣クラブの上野富雄さんも同席され、上野さんが「近野さんのお守役で来たのですネェー」と言うところから、お近づきになりました。
その後「オーナーばりキス百万円を釣ろう」という企画で近野さんとの親密なお付き合いが始まったと思います。
対馬では近野さんと上対馬をかけ廻り大キス狙い、上野さんや早乙女さん、岡山の大森さん他、大阪や東京のオーナーファンの有名な方々とキス釣りをたくさん楽しみました。
そして、なにより中道社長が兵庫県からオーナーの営業車で、はるぱる九州までやって来て、中対馬のキス釣りまで体験されたのには驚きました。同じフェリーに乗って楽しくオーナーばり営業の皆さんと遊んだ「キス百万円を釣ろう」は、近野さんのアイディアで計画、実行され、それを全面的に応援した中道社長のお陰で大成功したのです。
年4度発行されている「オーナーフックメイト(現在廃刊)」は近野さんと仁江田さんの編集で発行されたが、この中で「美女と野獣」のページがあります。このテーマ、近野さんが毎度美女と対談し、OHに負けないぐらいHな質問に、ゲラゲラ大笑いで面白いと大評判でした。
又、メイトのワッペン・バッヂが欲しくて、良く魚拓を提出したものです。
時々私の魚拓がオーナーばりさんの広告にでたり、34pのシロギスでは、34pを釣ったら百万円というアイデアも考えられたようです。
いずれも近野さんと私のお付き合いはいつも中道社長が間に入って、楽しみを広げてくれます。
関西同磯会会報や、OH会会報が頻繁に送られてきますが、いつも近野さんの丸ハゲ坊主と、スケベーな面白記事が近野会長の人間性と沢山の釣りの和、OHの和が広げられていくところを、私どもは大変尊敬しています。
会報作りは植村さんが素晴らしい、お仲間によって出来ますが、その基本的な中身を会長が作られているところに感動するものです。
私の人生の道しるべを与えてくれる近野さん、今後とも宜しくお付き合い下さい。
その近野寿雄さん数年後、賑やかしく去って逝かれました。
「九州の釣り文化を貴めた人々」 を、ご覧になって如何でしたか、ハートに残るものがあれば幸です。 九州の釣り文化を貴めた人々2 |
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